遥か昔から人々を魅了してきた名勝「三保の松原」
大沼、耶馬溪と並んで日本新三景のひとつに認定され、天女と地元の漁師との交流を描いた「羽衣伝説」の舞台として有名な「三保の松原」。
中でも、天女が羽衣をかけたとされる「羽衣の松」周辺は、駿河湾を挟んで富士山の絶景が臨めるスポットとして古くから親しまれてきました。
日本最古の詩歌集「万葉集」にも三保の松原を題材にした和歌があるとされ、絵画においても葛飾北斎や歌川広重が、三保の松原から臨む富士山の姿を描いており、芸術的にも認められてきた構図となっています。
なぜ構成遺産から除外するように勧告されたのか
2013年6月、富士山が世界文化遺産に登録されるにあたって、日本は25の構成遺産を含む形で申請していました。
しかしその直前の4月末、イコモス(国際記念物遺跡会議)から、25の構成遺産のうち「三保松原」を対象から除外するよう勧告を受けていたのです。
その理由は、富士山から45kmも離れていることや消波堤が景観にふさわしくないと判断されたのではないかと言われていました。
2013年6月の世界遺産委員会に向けて
少しでも景観を改善するために
歴史的な景観を守るために、市をあげての大規模な清掃活動が行われました。
「羽衣の松」周辺から、清水灯台に渡っての約3kmの距離を中心に大人から子供までたくさんの市民が参加しました。
また、Jリーグ・清水エスパルスの選手や静岡県知事や静岡市長なども清掃活動に顔を出し、最後まで諦めない姿勢を見せました。
除外が決定した場合の対策
万が一、「三保の松原」の世界遺産からの除外が決定した場合の対策も考えられていました。
その対策とは、文化的な価値を正しく評価し、次世代へと継承していくための国内の制度「文化的景観保護制度」を利用して、追加登録を目指していくものでした。
委員国などへの働き掛け
世界遺産委員会21か国の委員国の一つとして参加した日本。
他の20か国に「三保の松原」も含めた世界文化遺産へ登録するよう働きかけました。
その甲斐もあって、ドイツの代表団が「三保の松原」の景観を絶賛。
続いてロシア・セネガル・マレーシアなどの各国が続々賛成に動じました。
そして逆転、世界遺産登録へ
そんな紆余曲折を経て、晴れて2013年6月、「三保の松原」が世界文化遺産の構成遺産のひとつとして認められたのです。
地元のみならず、日本中が「三保の松原」を含んだ「富士山」の世界文化遺産登録を喜びました。
しかし、世界文化遺産への「富士山」の登録は、実は条件がついていました。
登山客の安全対策や環境問題などを抱えているため、それを改善するという約束で登録となったのです。
今後改善されなければ、「富士山」の世界遺産登録が取り消される可能性もゼロではありません。
実際2009年には、ドイツの「ドレスデン・エルベ渓谷の文化的景観」が、歴史的景観を損なっているという理由で世界遺産リストから削除されました。
「富士山」とその周辺の25の構成遺産全てが世界遺産であり続けることが、今後の目標であり課題となっています。
富士山の世界遺産としての価値を国内外に分かりやすく伝え、保全活動や調査研究の拠点であり観光振興にも寄与する施設「富士山世界遺産センター」の山梨県公式サイトです。