古代から続く神秘的な“富士山信仰”
古く富士山は、荒々しい噴火活動を行っていたため、古代の人々からは“神が住む山”と畏れられ、崇められていました。
この頃の富士山は噴火活動が激しく、現在のように登ることができなかったため、人々は遠くから仰ぎ見て崇拝していたと言われています。
平安時代後期になり、激しかった噴火活動も沈静化すると、富士山にいると信じられている神仏を拝みながら、修験者たちは修行のために富士山に登るようになったと言われています。
それから室町時代になると一般庶民も山に登るようになり大衆化しましたが、この当時の登山は男性のみに許された行為でした。
さらに、江戸時代に入ると戦国時代に長谷川角行が教義としてまとめていた新しい富士山信仰が「富士講」として関東地方を中心に民衆に広まり、この富士講に影響を受けた沢山の人々が、富士山に巡礼を行うようになったと言います。
そして、明治時代には、ついに女性の富士登山も解禁となり、現在も「御来光」や「お鉢巡り」を目的に多くの登山者たちが富士山の山頂を目指しています。
このような古代から続く富士山への深い信仰心と崇拝の念が評価され、富士山が世界文化遺産に登録された理由の一つだと言われています。
国内外問わず人々を魅了する富士山の芸術的魅力
日本最古の歌集「万葉集」の中では、山部赤人によって雪をまとった富士山の持つ神々しい魅力について詠まれています。
また、「竹取物語」や「伊勢物語」といった日本を代表する古典作品や俳句、漢詩の他、太宰治や夏目漱石といった明治文豪の作品にも富士山は数多く取り上げられているのです。
そして、富士山の芸術的魅力は文学作品のみならず、平安時代には絵画の世界にも取り上げられるようになります。
富士山が描かれている絵画で代表的なのは、秦致貞の「聖徳太子絵伝」や葛飾北斎の「冨嶽三十六景」、歌川広重の「不二三十六景」、「東海道五拾三次」などがあり、富士山の芸術的魅力は、日本人の芸術家だけではなく、西洋の芸術家として有名なゴッホやモネ、セザンヌにも衝撃を与えたと言われています。
このように、富士山は古代より数多くの文学作品や芸術作品にその魅力が描かれ、日本人のみならず多くの人々がその凛とした美しさになどに魅了されたのです。
この富士山特有の芸術性が世界文化遺産に登録されたもう一つの理由と言われています。
富士山が世界文化遺産を取り消される?
このようにして世界文化遺産に登録された富士山ですが、実はこの登録は“条件つき”とも言えました。
富士山は、火災や噴火が起きた際の安全対策やゴミなどの様々な環境問題を抱えており、イコモスという世界遺産に値するかどうかを実質的に審査する組織によっても指摘されています。
そして、こういった環境問題を今後どう対策していくのかをまとめた「保全状況報告書」を2016年2月1日までに提出するように課題を出されていたのです。
2017年現在、富士山は世界文化遺産登録を取り消されてはいませんが、今後環境保全を怠るようなことがあれば、富士山は登録を取り消されてしまう可能性もあると言われています。
富士山が世界文化遺産であり続けるためには、これからも様々な対策を取る必要があるのです。