世界遺産の構成遺産に登録された「三保の松原」
大沼、耶馬溪と並んで日本新三景のひとつに認定され、2013年6月には世界遺産「富士山」の構成遺産のひとつとして登録された「三保の松原」。
約7kmにも及ぶ広大な海岸には、5万本程の松の木が生い繁ります。
また、駿河湾を挟んだ富士山が臨める絶景スポットとしても、古くから地元の人たちに愛されてきました。
その景色は、歴代の芸術家達にも認められた構図となっています。
はるか昔「万葉集」には三保の松原を題材にした和歌が綴られ、江戸時代には、歌川広重が三保の松原から臨む富士山の浮世絵を残しています。
人々を魅了する景観の美しさは、いつの時代も変わらないものだと実感させられます。
三保の松原に残る羽衣伝説とは?
「羽衣伝説」は、日本各地に伝わる伝説で、今もなお語り継がれています。
なんと、似た話がヨーロッパにも伝わっているというから驚きです。
その中でも一番有名なのが、「三保の松原」に伝わる「羽衣伝説」です。
富士山は天に一番近い場所であるため、天女が降りてきやすいといわれています。
その昔、白龍(はくりょう)という漁師が、三保の松原で釣りをしていたところ、一本の松に羽衣がかかっていました。
その羽衣の美しさを見てつい持ち帰ろうとしたところ、木陰で天女と出逢いました。
羽衣がないと天に帰れない天女は、返してほしいと白龍にお願いします。
白龍は、天上の舞を見せてもらう代わりにと天女に羽衣を返上しました。
そして天女は再び空へと帰って行きました。
というお話が、「三保の松原」に伝わる「羽衣伝説」です。
天女が衣をかけたとされる「羽衣の松」
「羽衣伝説」に登場する天女が衣をかけたとされる松が、「羽衣の松」といわれている松の木です。
松の周りは柵でぐるっと囲まれ、「羽衣の松」と書かれた石碑が建っており、記念撮影ポイントとなっています。
現在の松は三代目に当ります。
初代の松は富士山の噴火と共に海中へ沈んでしまい、二代目は樹齢650年を超えて引退しました。
この「羽衣の松」を御神体とする神社が、500m行ったところにある「御穂神社」です。
「御穂神社」へ続く参道は「神の道」といわれていて、おごそかな雰囲気を醸し出しています。
2008年には、松の根を傷めないように木製の歩道が整備されたため、車いすやベビーカーでも通れるようになりました。
毎年春と秋の例大祭と羽衣祭りで、天女が羽衣を返してもらったお礼に踊ったといわれる「羽衣の舞」を観ることができます。
お祭りに合わせて訪れれば、より「羽衣伝説」を深く知ることができるでしょう。