富士山誕生の歴史
今から遡ること300万年以上前、現在の富士山とその周辺一帯は、太平洋の海の底にありました。
そこに、愛鷹火山と小御岳火山の二つによる活発な噴火活動で、一帯に陸地が出現することになります。
愛鷹火山と小御岳火山は、約8万年前に火山活動を停止しましたが、この二つの山に挟まれた誕生したのが、富士山の原型である古富士です。
古富士が噴火して流れ出た溶岩流や火山灰は、死火山となった愛鷹火山と小御岳火山にせき止められることで、上へ上へと高さを増していきます。
その後、幾度となく繰り返された噴火により流れ出した溶岩流や泥流は、現在の富士宮市から富士市、御殿場、さらには相模湾まで達しました。
噴火を繰り返してくことで、古富士は徐々に現在の新富士へと形を作っていきます。
新富士の噴火は静かなため、山の形を壊すこともなく、徐々に高度を上げ現在の形となりました。
なお、富士山のふもとにある富士五湖は、繰り返す噴火の際に流れ出た溶岩流が、大きな湖を堰き止めることで誕生した湖です。
富士山の文化【信仰と芸術】
霊峰富士
繰り返す火山活動により、富士山は「神仏が宿る山」とされてきました。
噴火を鎮める目的と、富士山の麓から山頂を拝む遥拝所として建立されたのが浅間神社です。
噴火活動が沈静化した平安時代の後期には、山岳信仰と外来の仏教が合わさった「修験道の道場」として、厳しい修行を行う場となります。
室町時代後半には、一般庶民の信仰による登山「登拝」も行われるようになり、富士山信仰が盛んとなった江戸時代からは、登山者が多く訪れるようになりました。
なお、明治時代以降には、女性の登山も解禁となります。
山頂でご来光を拝んだり、噴火口の周りを一周する「お鉢巡り」が行われたりしていることから、現在でも富士山は信仰の対象でもあります。
芸術が生まれる山
その美しさと雄大さから、富士山は数々の絵画や文学の題材にされています。
日本最古の歌集では、すでに「万葉集」で富士山を題材にした歌が詠まれており、古典文学では「竹取物語」や「伊勢物語」にも登場します。
さらに、夏目漱石や太宰治といった文豪の作品にも取り上げられています。
絵画では、葛飾北斎の「富獄三十六景」や、歌川広重の「東海道五拾三次」が有名です。
海外へ輸出されたこれらの浮世絵は、ゴッホやモネなどの西洋の芸術家にも大きな影響を与えました。
こうして富士山は、日本のみならず海外でも芸術の源泉として知られることになったのです。
そして、富士山は世界文化遺産へ
雄大な自然と信仰性、芸術性などの文化観が世界でも認められ、富士山は2013年6月に世界文化遺産へ登録されました。
また、富士山が信仰の対象であり、芸術の源泉となっていることを具体的に証明できる文化資産として、富士山そのものだけでなく周囲の神社、登山道など、全部で25カ所の構成資産も世界遺産として登録されています。
こうした歴史や文化的背景に触れることで、富士山の奥深さと魅力を改めて発見できそうですね。