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これって常識!?雑学!?意外と知らない【富士山20の豆知識】 (後編)

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“意外と知らない”【富士山20の豆知識】(後編)では、前編とはちょっと違う角度で雑学など【楽しめる内容】を集めてみました。知っていると【使えるネタ】、面白くて【なるほど】となる話が盛りだくさんです。ツアーでもフリープランでも、富士山登山がさらに楽しくなる富士山にまつわる豆知識をぜひお楽しみください!

【豆知識⑩】本当に標高3776mなのか?富士山の高さにまつわるミステリー

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富士山が日本一高い山というのは、日本人ならば誰もが知っている常識ですが、正確な高さを訊ねられて、即座に答えられる人は少ないのではないでしょうか。



富士山の高さは、四捨五入して3776メートル。これが今では公式になっています。
ここであえて「今では」という言葉をつかったことからもわかるように、実はかつては3776メートルではありませんでした。



1885年の公式記録では、富士山では3778メートルでした。



120年以上前なんだから測り間違いじゃないのと思われるかもしれないが、そうではありません。
富士山はある出来事で、低くなってしまった可能性が高いのです。



それは関東大震災です。
ご存知のように1923年9月1日、相模湾北西沖を震源として発生したマグニチュード7.9の大地震で、関東全域に史上最大級の被害を与え、10万人近い人々がなくなりました。



この未曾有の大地震で、震源地からもほど近い富士山はどうなったのでしょうか。
地殻変動があったのではないかということで、1926年再調査をしたところなんと、3776メートルになってしまっていたのです。
地震による地殻変動や崩落が原因かどうかは定かではないが、たしかに2メートルも低くなってしまっていたのです。



ちなみに、これ以降は、富士山は低くなっていません。



その一方で、富士山が低くなったのは、頂上部分の風化や地殻変動ではなく、「測り間違い」だと主張する人々もいますが、測定技術が向上すればするほど、富士山が低くなっているという奇妙な現象も起きています。



たとえば、1962年、国土地理院が山頂2等三角点で測定をしたところ、3775メートルだったものが、1993年に大成建設がGPSと水準法という方法で測定したところ、3774.9メートル。
わずかですが、どんどん富士山は低くなっているのです。



高さ3776メートルというが、「よくわからない」というのが本当のところなのです。


【豆知識⑪】富士山をペンキで赤く染めろ!本当にあった米軍のトンデモ作戦

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美しい形、そして頂上にのこる万年雪。
まさしく富士山は日本を代表する「美」といっても過言ではありませんが、実はかつてそれが危機にさらされたことがあることをご存知でしょうか。



戦時中、アメリカ軍のある「幻の計画」が実行されていれば、私たちは今のような富士山の美しい姿を眺めることはできなかったかもしれないのです。



太平洋戦争当時、CIA(アメリカ中央情報局)の前身であるOSS(戦略情報局)には「神経戦部」という部署がありました。



戦争というのはただ、相手を攻撃するだけではありません。たとえば空爆の際、無益な戦争を止めて、武力抵抗を無駄だというようなビラを散布しています。
要するに、「このまま戦っても無駄だ」と敵国の士気を落とすことも重要で、この「神経戦部」というのは、 “何をしたら日本人がへコむのか”ということを研究していた部署であります。



その「神経戦部」の科学者がある時、富士山に着目をしました。
日本人はこの山を大変愛しています。
その理由はやはりあの美しさからでしょう・・・そんなことを考えていた科学者は、ある作戦を思いつきました。



「あの美しい富士山を汚したら、日本人の士気はかなり落ちるのではないか」



具体的には、青くて美しい富士山をペンキで赤くしてやろうというわけです。
アメリカ人らしい実に大雑把な作戦ですが、驚くことにこの作戦は採用されました。



しかし、結局これが実行をされることはありませんでした。



いざ富士山を赤にするためにどれほどのペンキがいるのかを試算したところ、表面積から考えてペンキが約12万トン必要で、それを運ぶにはB29が約3万機いることがわかったからです。



B29が飛び立つのはマリアナ諸島から富士山まではおよそ2500キロ。燃料は1機200万。つまり、燃料代だけでも600億かかるのです。



それだけ莫大な金をかけて、日本人をへコませてもなあということになったというわけです。


【豆知識⑫】富士山頂で「ごはん」を炊くと芯が残る“半生状態”に

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3776メートルという日本一の高さを誇る富士山
苦労をして頂上まで登った登山客は感極まって、いろんなパフォーマンスをします。



そのなかでも意外と多いのが、カップラーメンなどを持っていて頂上で食べようという人たち。
わざわざ山頂まで行ってカップラーメンなんて食べなくても、と思うかもしれませんが、やはり日本一高いところで食す味は格別なのでしょう。



しかし、そういう「頂上食」をしたい人にひとつ注意をしておくと、富士山の頂上では、美味しく食べることが困難なものがひとつあります。



それは「ごはん」。



実は、富士山の頂上ではご飯を炊こうとしてもうまく炊けません。
その理由は、気圧だと考えられます。
これだけの高さなので気圧は平地の63%の約640hPaしかありません。



気圧が低いということは、「沸点」(水が沸騰をする温度)も低い。
この気圧では、約88度でお湯が沸いてしまうといわれています。
ご存知のように、野外での炊飯は「はじめチョロチョロ、なかパッパッ、赤子泣いてもフタとるな」と言われるように、チョロチョロのあたりで強火で一気に沸騰をさせなくてはいけません。
それが、88度という低温では、米の芯にまで火が通らないで、半生になってしまうといいます。



実際に、頂上で炊飯をした人によると、「こんなにマズい御飯を食べたことがない」といいます。
沸騰をしているのに、温いお湯でさっと湯がいたような感じで、表面は柔らかいが、中味は硬くて芯が残っています。
おまけに沸点が低いがゆえに、水がすぐに蒸発してしまうため、そんな状態でも焦げ臭いんだとか。
水を多めにしたり、できるだけ弱火で炊くなど、高地ならではの炊飯のコツもあるようですが、普通のキャンプの感覚では前述のようになってしまうのです。



ただし、富士山でのバーナーの使用はあくまでも周囲の登山客や山小屋の迷惑にならぬようマナーを守っていただきたいですね。


【豆知識⑬】日本一の高さで愛を誓う 富士山はユニーク結婚式のメッカだった

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結婚式をユニークな場所で行うというカップルが近年増えています。
屋形船、鉄道、動物園なんてところ永遠の愛を誓う人たちもいるそうですが、実は富士山でも結婚式ができることをご存知でしょうか。



静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社。
全国の浅間神社の総本宮にあたるここの「奥宮」が 富士山頂にあり、3ヵ月前に申し込みをして10万円の初穂料を支払えば、誰でもここで結婚式を挙げることができるのです。



とはいえ、当たり前だが頂上までは自力で登らなくてはいけません。
ウェディングドレスならばなんとか運んで着替えることはできるかもしれませんが、角隠しは無理でしょう。



受付期間は7月15日〜8月15日の約1ヵ月。
頂上で式を挙げるカップルは、年に3組ほどいるらしく、運が良ければ頂上で、ウェディングドレス姿の花嫁を見ることができます。



日本一高い場所で愛を叫ぶ。



2人で苦労をして頂上まで登ったことに合わせて、一生の記念となること間違いないでしょう。



ただ、本人たちは自分たちが望んだ式場なので幸せでしょうが、参列者として呼ばれたら・・・正直ちょっとツラいかもしれません。


【豆知識⑭】富士山に初めて登った女性はチョンマゲをしていた

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今でこそ老若男女問わず登山を楽しめることができる富士山ですが、かつて富士山に登ることが許されない、気の毒な人々がいました。



それは女性です。



平安時代より、富士山は「霊山」として山岳信仰の対象になっており、長く「不浄」と考えられてきた女性には登山が許されなかったのです。



女性からすると、「まったく失礼しちゃうわ」という話でお怒りの声も聞こえてきそうですが、これはなにも富士山に限ったことではなく、相撲の土俵なども「女人禁制」。
信仰上の理由でしかたがなかったのです。



そのため、江戸時代の女性たちは吉田口登山道の2合目にあった御室浅間神社までしか登れませんでした。
神社東南1キロ上に設けられた「女人天拝所」から、その雄大な景色を眺めていたといいます。



しかし、いつの時代も、女性はたくましい。
そんなルールなど関係ないわ、とばかりに富士山に登ってしまった女性がいます。



彼女の名前は「高山たつ」。



高山たつは、男女平等を説いていた小谷三志という男性たちの協力を得て、マゲを結って、男装してこっそりと山に入り、見事頂上にまで辿り着きました。



江戸時代(天保3年)の旧暦9月26日のことで、これが記録に残る女性初の登頂で、その後、明治5年(1872)の女人禁制解除で、女性たちも登ることができるようになりました。



男装してまでも登りたい。
それぐらい富士山というものに人をひきつけてやまない魅力があるということかもしれません。


【豆知識⑮】「富士山」はもともと「不死山」と呼ばれていた?

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私たちは何気なく「富士山」と呼んでいますが、そもそもこのような呼び名はどこからきたのでしょうか。



諸説はありますが、「かぐや姫」からではないかといわれています。
日本人なら誰もがしる「昔話」なので、今さら説明はないでしょうが、そのもととなっている「竹取物語」では、かぐや姫が帝に「不老不死の秘薬」を渡たします。
しかし、かぐや姫が月に帰ってしまって、悲しみに暮れ、生きる希望を失った帝は、日本で一番高い山の山頂で、この「不老不死の秘薬」を焼いたといいます。
不老不死の薬を焼いたことから、「不死山」という名称が生まれ、鎌倉時代には今の「富士山」になったといいます。



しかし、研究者の中では、帝が「不老不死の秘薬」を日本一高い山で焼くため、帝が遣わせた使者が、「士(つわもの)らを大勢連れて山へ登った」ことから、「士に富む山」、「富士山」になったという説も有力です。



なんにせよ、富士山で「不老不死の秘薬」を焼いたということに違いはなく、富士山に「溶けることのない雪」(万年雪)が残っていたり、靄が立ちこめているのは、この「不老不死の秘薬」を焼いたためだからといわれていいます。



これは余談ですが、このように富士山と「不老不死」を結びつけるのは実は平安時代よりも遥か昔にもありました。



中国最初の皇帝である「始皇帝」は、死ぬまで不老不死を追い求め、東海の果ての国、つまり日本に不老不死の秘薬があると聞きつけて、実際に徐福という臣下を日本に送っています。
日本各地をまわった徐福が最後に辿り着いたのが、富士山でした。



富士吉田市に、徐福の墓があります。
この富士山には、もしかしたら私たちの知らない秘密がまだ隠されているのかもしれません。


【豆知識⑯】「どっこいしょ」の語源は「ロッコンショウジョウ」だった

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「どっこいしょ」



重い荷物を担ぐ時、思わずこんな言葉をもらしてしまう方は多いのではないでしょうか。
山に登ると当然、息が切れます。
ちょっと休憩したい。
そんな時、道ばたに大きな岩でもあると、やはり「どっこいしょ」と言って腰掛けてしまうことも少なくありません。



若い人はつかわないかもしれないが、踊りの拍子などにもつかわれるこの「どっこいしょ」という言葉、よくよく考えてみたら不思議な響きではないでしょうか。



実はこのかけ声は、富士山からきているのです。



富士登山をした方ならば経験もあるかもしれませんが、こんな言葉を唱えながら登っている人たちを見かけたことがあるはずです。



「六根清浄 お山は晴天」



六根とは、目、鼻、耳、舌、身、意の6つで、人間の知覚のことを言い、六根清浄とは、この六根から生じるさまざまな欲望を捨て、清らかになって富士登拝しましょうという意味です。
「富士講」と呼ばれる山岳仏教の行者たちは、宗教的な意味でこれを唱えていましたが、近代になって登山が一般化されるにつれて、「六根清浄、お山は晴天」というのは、登山ペースを保つための「かけ声」となっていました。



この「ロッコンショウジョウ」を繰り返しているうちに、息もとだえとだえになり、なまってしまったのが「ドッコイショ」になったといわれています。



太古から日本人にはかりしれない影響を与えてきた富士山は、なんと言葉まで生み出してしまっていたのです。


【豆知識⑰】キノコなのに「お肉」?キノコなのに果実の匂い?富士山の不思議なキノコたち

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豊かな自然の宝庫である富士山周辺には、ほかではあまり見ることのない珍しい植物がたくさんあります。



「おにく」もそのひとつです。



植物なのに「おにく」と呼ばれるこの植物は、キノコの一種で、またの名を「たかはしだけ」。
タカハシさんという方が発見をしたからそう呼ばれているといいます。



この「おにく」は大変珍しいキノコで、富士山では夏、8月ごろにあらわれるといいますが、最近では地元の山小屋の主などでも見つけることは難しいらしいです。



ちなみに、「おにく」という名前だが食べることはできず、薬用のキノコだといいます。



キノコといえば、もうひとつ富士山の珍しいキノコを紹介しましょう。



それが“アンズタケ”。
夏から秋にかけて発生するキノコで、その名のとおり、アンズの果実をむいたようなビジュアルなのですが、この名の由来はそれだけではありません。



匂いをかいでみて驚きますが、なんとアンズのような甘い匂いがするのです。
こちらは食べることはできますが、富士山周辺では料理屋などではメニューとして出しているところはありません。



このアンズダケは8月後半にかけて、5合目付近で見ることができるといいます。
富士山周辺では「おにく」ほどの珍しくはありませんが、久米島では「ナーバ」と呼ばれ、ハブが活動する時期にしか発生しないので山に詳しい人しか採れないことから「幻のキノコ」といわれています。



夏に富士山登山をする人は、こんな珍しいキノコを探しながら登ってみるのもおもしろいかもしれません。
ただし、富士山周辺は国立公園なので、くれぐれも鑑賞をするだけでお願いしたいです。


【豆知識⑱】銭湯の「富士山ペンキ絵」を発明した男たち

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富士山といえば、銭湯の壁画をイメージする人も多いのではないでしょうか。



まさしく日本の風呂文化の象徴ともういうべきものですが、いったいなぜ富士山を浴場に描くようになったのでしょうか。



実はルーツは、大正元年(1912年)、東京・神田猿楽町にあった「キカイ湯」という銭湯。
創業者である東由松氏が、増築をする際、壁に絵が書いてあったら子どもが喜ぶに違いない、とペンキ絵を描くことを考えつきます。



そこで当時、広告デザインなどを手がけていた油絵画家の川越広四郎に依頼。
彼が描いたのが、富士山だったのです。



この「富士山風呂」の評判はまたたく間に広まり、真似をする銭湯が東日本を中心に続出。
いつの間にやら銭湯の代名詞となりました。
なぜ東日本かというと、関西の銭湯はタイル絵が主流で、ペンキ絵は少ないからです。



東京オリンピック期の昭和30年代末〜40年代の最盛期には、都内だけでも約2600件の銭湯があり、そのほとんどの壁にはペンキで背景画が描かれていたといいます。



ある意味で、「日本の銭湯」をつくりあげた川越だが、なぜ彼は風呂に富士山を描こうと思ったのでしょうか。



今となってはわかりませんが、川越は、富士山の絶景ポイントのひとつである静岡県掛川市の出身。
幼い頃より見ていた壮大さを、風呂場で感じてもらおうと思ったのかもしれません。



ちなみに現在、銭湯に「富士山」を描くペンキ絵師は日本で2名、見習いの女性が1名の計3名しかいません。
ぜひともこの伝統を受け継いでもらいたいものです。


【豆知識⑲】富士山に初めてシュプールを描いたのは軍人だった

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