世界遺産の価値として特に重要な地域とされる「富士山域」
![Cecaf744 fc16 4ff9 ba96 e41c0f0f97a7](https://cdn.fujiyama-navi.jp/item_images/images/000/019/941/original/cecaf744-fc16-4ff9-ba96-e41c0f0f97a7.jpg?1498789902)
富士山を目指す、起点ごとの登山道とそれぞれの歴史
![27515ea4 0095 446f 9d04 8c0fbbb874ff](https://cdn.fujiyama-navi.jp/item_images/images/000/019/945/original/27515ea4-0095-446f-9d04-8c0fbbb874ff.jpg?1498791262)
「富士山域」の「構成資産」として実際に足を踏み入れてみたいのが登山道です。
「大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)」は、富士山本宮浅間大社を起点とし、村山浅間神社を経て山頂南側に至る登山道です。
富士山では、12世紀前半から中ごろにかけての末代上人の活動をきっかけに登山が開始されたと考えられています。
その後、一般人の富士登拝も開始され、その様子は16世紀の作とされる『絹本著色富士曼荼羅図』に描かれています。
資産の範囲は現在の富士宮口登山道の六合目以上です。
「須山口登山道(現御殿場口登山道)」は、須山浅間神社を起点とし、山頂南東部に至る登山道です。
その起源は明確ではありませんが、古文書では1486年にその存在が確認できます。
宝永(ほうえい)噴火(1707年)では、壊滅的な被害を受け、登山道の全体が復興したのは、1780年のことでした。
資産の範囲は、現在の御殿場口登山道となる標高2,050m以上と信仰の対象であった須山御胎内(おたいない)周辺(標高1,435から1,690mまで)です。
「須走口登山道」は、冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流し山頂東部に至る登山道です。
その起源は明確ではありませんが、登山道からは1384年の年号が入った懸仏が出土しています。
18世紀後半に入ると、富士講を含めた多くの道者が利用しました。資産の範囲は、五合目以上です。
は、北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す登山道。
14世紀後半には参詣の道者のための宿坊も出来始め、大勢の人々が登るための設備が整うようになりました。
富士講(ふじこう)隆盛の礎を築いた食行身禄(じきぎょうみろく)が、信者の登山本道をこの吉田口と定めたため、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、最も多くの人々によって利用されています。
山頂の信仰遺跡群(さんちょうのしんこういせきぐん)
![12894d8d 2e51 4f2f afed c6275c01ac75](https://cdn.fujiyama-navi.jp/item_images/images/000/019/949/original/12894d8d-2e51-4f2f-afed-c6275c01ac75.jpg?1498791451)
山頂には、火口壁に沿って神社等の宗教関連施設が分布しています。
富士山への登拝が開始されると、寺院の造営や仏像等の奉納が行われるようになり、山頂部における宗教行為が体系化されていきました。
山頂において「ご来光(日の出)」を拝むことや、頂部を巡る「お鉢めぐり」の行為は、現代においても多くの登山者が行っており、これらを通じて富士山信仰の核心が現代にも確実に受け継がれています。
北口本宮冨士浅間神社 山梨県・富士吉田市
![1fcad97d ea75 4548 ab8c 1aefc0663e87](https://cdn.fujiyama-navi.jp/item_images/images/000/019/952/original/1fcad97d-ea75-4548-ab8c-1aefc0663e87.jpg?1498791590)
浅間大神(あさまのおおかみ)が祀られていた遙拝所を起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていました。
富士講とのつながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清(むらかみこうせい)の寄進によって建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成されました。
「富士山域」としての湖(西湖・精進湖・本栖湖)と富士五湖
![22a51a83 4a81 437d 8fc9 1ee3e0576412](https://cdn.fujiyama-navi.jp/item_images/images/000/019/955/original/22a51a83-4a81-437d-8fc9-1ee3e0576412.jpg?1498791709)
「富士山域」としてエリア分けされている湖は、「西湖」、「精進湖」、「本栖湖」です。
特に本栖湖と富士山を写真は、紙幣の図柄として複数回使用されました。
ただし「富士山域」ではないエリアにも、「構成資産」として「山中湖」「河口湖」が存在。
この5つの湖は数多くの芸術作品とゆかりが深い景勝地であり「富士五湖」と称されています。
湖面に映える富士山は「逆さ富士」と呼ばれ、名所として有名です。
富士山周辺の八つの湖沼を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講信者によって行われましたが、いつの時代も変わらず巡礼の対象として数えられたのが富士五湖です。
世界遺産・富士山の「構成資産」を訪ねる旅
世界遺産・富士山の「構成資産」を訪ねる旅 ~山梨県 編~
![4bfadee4 ecc4 46d3 ad07 abf9df188c72](https://cdn.fujiyama-navi.jp/item_links/images/000/019/961/original/4bfadee4-ecc4-46d3-ad07-abf9df188c72.jpg?1498791967)
山梨県と静岡県をまたがるようにそびえたつ富士山。世界遺産としてふさわしいと認定された背景には、周辺にある神社や登山道、風穴に湖沼などの存在も大きくかかわっています。富士山の価値を成す文化財は「構成資産」として25か所あり、それらすべてが世界遺産。ここでは山梨県エリアに位置している構成資産をご紹介します。
世界遺産・富士山の「構成資産」を訪ねる旅 ~静岡県 編~
![855df1df a43c 4a92 b013 5bcbb898ea06](https://cdn.fujiyama-navi.jp/item_links/images/000/019/962/original/855df1df-a43c-4a92-b013-5bcbb898ea06.jpg?1498792017)
世界遺産に登録されている「富士山」ですが、その正式名称は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」。それは山体だけでなく、富士山に深くかかわりをもつ周辺25か所も含めての価値(構成資産)であることを表しています。静岡県と山梨県をまたがるようにそびえたつ富士山なので、当然「構成資産」も両県にそれぞれ。静岡県エリアの場所に関しては、距離ある位置でも富士山にまつわる芸術作品や景勝地として知られる「三保松原」もあります。
富士山の世界文化遺産としての価値は、富士山が神聖で荘厳な景観をもとに「信仰の対象」と「芸術の源泉」になってきた点であると考えています。
この富士山の価値にとって特に重要な地域(標高約1,500m以上)を資産範囲としています。
その理由は有名な絵画に描かれた範囲が重なり合う部分にあたり、信仰の上では神聖性の境界のひとつであった「馬返」以上にあたるからです。
この範囲の中には、浅間大神が鎮座するとされる八合目以上や、現在発行されている千円札等に採用された本栖湖からの景観が含まれています。